2009年12月27日
2009年メモリー①


今年ってどんな年だったんだろう
『印象に残った試合』以外にもいろいろな大会、試合でもドラマがあったと思いだす
まとめて一年を振り返ってみたい
(途中優勝者の羅列になってしまったけど・・・)
ATP 2009 SCHEDULE

エキシビながら注目のホップマン・カップにサフィーナ/サフィンの兄妹が出場
コルネ/シモンのフランス・ペアー、ペンネッタ/ボレリのイタリア・ペアとの対戦
サフィン兄妹、決して良いコンビネーションではなかったけれど、準優勝
そして微笑ましい兄妹の姿を見せつけてくれました



ドーハではマレィー優勝
チェンナイではチリッチ優勝
ブリスベンではステパネクがベルダスコに勝って、充実の一年の始まり
2週目:オークランドはデルポトロ
シドニーはナルバンディアンがニーミネンを下して優勝
幸先良いスタートかと思ってたんですが・・・
全豪OP
ナダルがフェデラーとの頂上決戦を制してハードのGSでは初タイトル
フェデラーの涙が印象的でした


これで戦国時代到来かと・・・

南アでの初めてのトーナメント開催
ツォンガが同胞シャルディに勝って優勝
南米チリでは地元F・ゴンサレス
ザグレブでも地元チリッチが制す
マレィ、ロッテルダムで2勝目
北米ハードの始まり
ステパネク2勝目
ロディック、フィッシュがタイトルとりました
フランス、マルセイユで地元ツオンガ2勝目
ロブレドがブラジル、アルゼンチンと南米クレー2大会連続優勝
金満ドバイ(ドバイ・ショックはまだ先)ではジョコビッチ今年初タイトル

マスターズ1000インディアンウェルズ、強風の中、マレィに勝ってナダル2勝目

マスターズ1000マイアミ、マレィがフェデラーに勝って3勝目

モロッコでフェレーロ復活優勝
北米グリーン・クレー、ヒューストンでヒューイット復活優勝
マスターズ1000モンテカルロ、ジョコビッチに勝ってナダル5連覇
フェデラー「大丈夫?」と心配したのですが・・・

バルセロナ、ナダル5連覇4タイトル目
マスターズ1000ローマ、ナダル、ジョコビッチに勝って5タイトル目獲得

エストリル、モンタニエス優勝
ハンブルグ、ベルディッチ優勝
ジョコビッチ・ファミリーがセルビアに大会を誘致
ホストのジョコビッチが危なげなく2タイトル目
マスターズ1000マドリッド、フェデラー今季初優勝
さて・・・ここから、様相が一変してしまうのです

ナダルは膝の故障に耐えられなくなって夏まで欠場

ソダーリンという伏兵、ノーマークの選手が勢いと自信をつけて、RG決勝進出
今や堂々のトップ10選手に成ってしまいました

フェデラーが自信を取り戻しRG優勝・・・キャリアGS達成
GS最多タイ記録(サンプラス)に並ぶ

ハーレは地元ハースがジョコビッチを下して優勝
ジョコはなかなか優勝するところまでいきません
ロンドンはマレィ、ますますWB制覇にプレッシャーが増大

イーストボーンはツルスノフが優勝
前年の借りを返した形?
オランダでも芝がある
一時低迷していたB・ベッカー優勝

ウィンブルドン
4時間16分の激闘を制したのはフェデラー
ロディックも手が届きそうで・・・やっぱりダメだった・・・

今日はここまで
*すいません
最後の写真順番が逆でした
訂正させていただきました
他にも芝の大会が抜けていましたので、追加しました
2008年12月19日
テニス感染歴⑥
いよいよ最後です
本当に終わらせられるか・・・
ちょっと戻りますが(やっぱり)
2005年のジャパン・オープン・ドロー
全豪で優勝したサフィンが、ジャパン・オープンのチケット発売の直前に出場を表明
サフィンファンが超盛り上がりました
・・・でも膝の故障は次の年の2月まで続いたので、欠場と聞いてチケットを空しく見つめたのを思い出します
プエルタがトップシードでしたが、この大会中にドーピングの疑いが発表され、元気がない理由がわかりました
元に戻って・・・一挙に飛んで
2006年ジャパン・オープン・ドロー
始めてのフェデラー出場で大変なことになっていましたね
それでも、ヘンマン、デルポトロ、ダンセヴィッチ、ロブレド、ツルスノフそしてマレー兄弟とコーチのギルバートに接近遭遇
この年の10月についにブログを始めました
それからはもっともっと調べながら、書く日々となって、ますますのめり込んでいきました
だってブログとコメントだけでも、話ができるなんて今までなかったから・・・皆様に感謝です
・・・で、サフィンは10月に本当に久しぶりにクレムリンカップの決勝に進出
しかし後輩(そうは見えないが)ダヴィデンコに勝てず準優勝
でもデビス・カップではナルバンディアンに負けはしましたが、ダブルスと最後のシングルスでデビス・カップ
をロシア
にもたらすことになりました
やっぱり最後のサフィンの対戦相手はアカスソでした(本当に可哀そうな人ですね~今年のデ杯決勝でも最後にヴェルダスコに敗退)
次の年2007年もサフィンは調子出ず、ラスベガスの4回戦が最高成績
グミーさんがコーチについてまた心機一転
2007年ジャパン・オープン・ドロー
今まで観たいと思っていたフェリ(ロペス)、ヴェルダスコ、ガスケ、ベルディッチ
に会えました
TMSマドリッド、TMSパリではナルバンディアンがフェデラー、ナダルを退け連続優勝
またまた「・・・やればできるじゃん」の選手がお好みなんですよね
この年11月TMC上海に2度目の海外観戦
日本から近いということでテニスの仲間3人とともに上海へ
トップ8の選手の試合なので真剣勝負で楽しめました
ナダル、ゴンサレス、ロディック、ジョコヴィッチ、ダヴィデンコをはじめて観れたこと
おまけにフェデラーが負ける瞬間を目の前で見てしまい、結構稀な経験をしたと思っています
2008年ウィンブルドンでサフィン復活の兆し
2回戦でNo.3シードのジョコヴィッチに勝利、あれよあれよという間に準決勝進出
「嫌い」で以前は「もう出ない」とまで言っていた芝で、久し振りのスポットライトを浴びて、やっぱりこれが似合うんだな~と再確認
「もしかしてWB優勝?」・・・自分も舞い上がってしまったのは許してくださいね
そしてウィンブルドン決勝ではテニス史に残る名勝負
ナダルが王者フェデラーに勝った瞬間は観戦歴の中で一番感動した場面でした
サフィンの2000年全米、2005年全豪よりもということは・・・やはり、ブログをやって・・・より深くテニス観戦にのめり込んでいたからなのだと思います
9月には初めて東レPPO観戦
サフィンじゃなくて、妹のディナラ・サフィーナを見て満足
2008年ジャパン・オープン・ドロー
とうとう日本のテニスに輝ける星が誕生しました
新しい“お気に入り”さんにも出会うことができました
(来年からはシモーネ・ボレリも追っかけていきたいです)
そしてまたサフィン・・・10月のクレムリンカップ決勝戦でまたもや同胞、おまけに一度も負けたことがない、ダブルスも組んでいたクニツィンに敗退
これが尾を引き、TMSパリでは大荒れで「引退」(?)に近い言葉も・・・
もう来年1/27で29歳
「サフィンが楽しくなければやめても良いよ
でも、まだ居場所はここしかないよ」
いつからかLスコアだけでなく、Lストリーミングも見られるようになり、ほとんどの大会がWOWOW、GAORA以外でも観ることができるようになりました
これが10年以上にわたる今までの私のテニス観戦歴です
自分自身のために記録しておきたいと考えて書きました
これからもまだしばらくはブログとともにテニス観戦、楽しんで行きたいと思っています
この観戦とブログが「自分のテニスも向上したい」という原動力になっていることも事実です
お付き合い下さってありがとうございました
本当に終わらせられるか・・・

ちょっと戻りますが(やっぱり)
2005年のジャパン・オープン・ドロー
全豪で優勝したサフィンが、ジャパン・オープンのチケット発売の直前に出場を表明

サフィンファンが超盛り上がりました

・・・でも膝の故障は次の年の2月まで続いたので、欠場と聞いてチケットを空しく見つめたのを思い出します

プエルタがトップシードでしたが、この大会中にドーピングの疑いが発表され、元気がない理由がわかりました
元に戻って・・・一挙に飛んで

2006年ジャパン・オープン・ドロー
始めてのフェデラー出場で大変なことになっていましたね

それでも、ヘンマン、デルポトロ、ダンセヴィッチ、ロブレド、ツルスノフそしてマレー兄弟とコーチのギルバートに接近遭遇

この年の10月についにブログを始めました
それからはもっともっと調べながら、書く日々となって、ますますのめり込んでいきました
だってブログとコメントだけでも、話ができるなんて今までなかったから・・・皆様に感謝です

・・・で、サフィンは10月に本当に久しぶりにクレムリンカップの決勝に進出
しかし後輩(そうは見えないが)ダヴィデンコに勝てず準優勝
でもデビス・カップではナルバンディアンに負けはしましたが、ダブルスと最後のシングルスでデビス・カップ


やっぱり最後のサフィンの対戦相手はアカスソでした(本当に可哀そうな人ですね~今年のデ杯決勝でも最後にヴェルダスコに敗退)
次の年2007年もサフィンは調子出ず、ラスベガスの4回戦が最高成績
グミーさんがコーチについてまた心機一転
2007年ジャパン・オープン・ドロー
今まで観たいと思っていたフェリ(ロペス)、ヴェルダスコ、ガスケ、ベルディッチ

TMSマドリッド、TMSパリではナルバンディアンがフェデラー、ナダルを退け連続優勝
またまた「・・・やればできるじゃん」の選手がお好みなんですよね

この年11月TMC上海に2度目の海外観戦
日本から近いということでテニスの仲間3人とともに上海へ
トップ8の選手の試合なので真剣勝負で楽しめました
ナダル、ゴンサレス、ロディック、ジョコヴィッチ、ダヴィデンコをはじめて観れたこと
おまけにフェデラーが負ける瞬間を目の前で見てしまい、結構稀な経験をしたと思っています
2008年ウィンブルドンでサフィン復活の兆し
2回戦でNo.3シードのジョコヴィッチに勝利、あれよあれよという間に準決勝進出
「嫌い」で以前は「もう出ない」とまで言っていた芝で、久し振りのスポットライトを浴びて、やっぱりこれが似合うんだな~と再確認
「もしかしてWB優勝?」・・・自分も舞い上がってしまったのは許してくださいね

そしてウィンブルドン決勝ではテニス史に残る名勝負
ナダルが王者フェデラーに勝った瞬間は観戦歴の中で一番感動した場面でした
サフィンの2000年全米、2005年全豪よりもということは・・・やはり、ブログをやって・・・より深くテニス観戦にのめり込んでいたからなのだと思います
9月には初めて東レPPO観戦
サフィンじゃなくて、妹のディナラ・サフィーナを見て満足
2008年ジャパン・オープン・ドロー


新しい“お気に入り”さんにも出会うことができました
(来年からはシモーネ・ボレリも追っかけていきたいです)
そしてまたサフィン・・・10月のクレムリンカップ決勝戦でまたもや同胞、おまけに一度も負けたことがない、ダブルスも組んでいたクニツィンに敗退
これが尾を引き、TMSパリでは大荒れで「引退」(?)に近い言葉も・・・
もう来年1/27で29歳
「サフィンが楽しくなければやめても良いよ
でも、まだ居場所はここしかないよ」
いつからかLスコアだけでなく、Lストリーミングも見られるようになり、ほとんどの大会がWOWOW、GAORA以外でも観ることができるようになりました
これが10年以上にわたる今までの私のテニス観戦歴です
自分自身のために記録しておきたいと考えて書きました
これからもまだしばらくはブログとともにテニス観戦、楽しんで行きたいと思っています
この観戦とブログが「自分のテニスも向上したい」という原動力になっていることも事実です
お付き合い下さってありがとうございました

2008年12月18日
テニス感染歴⑤
2004年の全豪
サフィンはランキング86位でスタート
怪我も治り絶好調で全豪を迎えました
決勝まで27セットも戦って勝ち上がっていったのです
なんといってもQFのロデッィック(1位)、アガシ(4位)とのSFはフルセットでの素晴らしい試合の連続で、まだビデオがあるはず
決勝はNo.2のフェデラーとの対戦
サフィンはもうエネルギーを使いはたしてしまって、簡単に敗退
でも32位にランキング上昇
この辺りから、ネットの世界に入りこみ始めた私はサフィンのことがもっと知りたくなって、「マラト・サフィン」を検索
サフィンのファン・サイトにたどり着きました
「やくこさんのサイト」でした
もう雑誌ではなくて、ネットを見ながら試合結果に一喜一憂するようになりました
いろいろな写真もマイピクチャーに保存
この年全仏は、ガウディオがコリアにまさかの逆転勝ち
小柄なコリアの不思議なテニスが優勢だったのですが・・・
信じられない思いで画面を見つめていました
確かこの全仏で、サフィンの「ドロップパンツ事件」とかありましたね
3回戦で対戦したスタラーチェと長いラリーの末、ネットでポイントをとったサフィンはあきれ顔で白いパンツを15cmくらい下げたのでした
ともかくコート中大爆笑
*記憶がちょっと曖昧だったのですが、2回戦のマンティーリャ戦だったそうです
その後、4回戦でナルバンディアンに敗退
その試合の終了後の二人のネット際で、何を話したのか・・・良い感じの写真に魅了されました
ナルのファンになったのはこの年から
実はこの年二人はTMSカナダでダブルスを組んだのです
たった1回だったのですが・・・見たかったな~
全英はフェデラー2連覇
全米もフェデラー初優勝
フェデラーが絶対王者として君臨
強すぎて、もう誰も彼を止められない・・・
2004年ジャパン・オープンはイリ・ノヴァク(CZE)がデント(USA)に勝って優勝
ナルが来日・・・センターコートの高いところから見ただけでした
サフィン、全米では一回戦敗退後、北京で優勝、TMSマドリッドでナルバンディアンとの決勝


これはもう何度もビデオで見ました
この二人、試合後がとても良い感じなんです
そしてTMSパリでもステパネク下して3回目の優勝
TMCヒューストンでは負けはしたものの、フェデラーとのSF、第2セットタイブレは18-20という歴史に残るものでした
結局4位で終了
2005年のサフィン、ホップマンカップで絶不調
どうなることかと思っていましたが、やはり得意な全豪準決勝でフェデラーとのしびれるような死闘
胸がいっぱいで夕食食べれず・・・ダイエットには良かったかな
そして2度目のGS制覇
その後は又パッとせず、全仏でシューズの中敷きが原因(と私は信じているのですが)で、左膝の痛みに悩まされ始めます
全英前のゲーリー・ウェーバー・オープンでは単複ともに、決勝進出
両方ともフェデラーに敗れ準優勝
結局北米シリーズから、膝の痛みに耐えられなくなって、次の年(2006年)の2月まで長いお休みとなりました

ちょっと戻りますが2005年のTMC上海ではサフィンを始めとして、ヒューイット、ロディックが欠場
ナダルもアガシも・・・
ナルとダヴィデンコ、ガウディオとフェデラーが準決勝進出
ここでまたナルとフェデラーの素晴らしい決勝戦を見ることができました
そして2006年の全豪を観に、サフィンを観にメルボルンへ初の海外観戦
結局サフィンもナダルも欠場で見られず、40℃を超える暑さの中、ヒートポリシーもあって、屋内であるロッドレーバーとヴォダフォン・アリーナ(最近ではハイセンス・アリーナ)での観戦だけでしたが大満足
ナルやサントロ、フェレール、リュビチッチ、ヨハンソン、ロブレド、キーファー、フェレーロ・・・
女子ではエナン、ペトロワ、他・・・を観ることができました
長くなってすいません
次回で終わる予定です
サフィンはランキング86位でスタート
怪我も治り絶好調で全豪を迎えました
決勝まで27セットも戦って勝ち上がっていったのです
なんといってもQFのロデッィック(1位)、アガシ(4位)とのSFはフルセットでの素晴らしい試合の連続で、まだビデオがあるはず
決勝はNo.2のフェデラーとの対戦
サフィンはもうエネルギーを使いはたしてしまって、簡単に敗退

でも32位にランキング上昇
この辺りから、ネットの世界に入りこみ始めた私はサフィンのことがもっと知りたくなって、「マラト・サフィン」を検索
サフィンのファン・サイトにたどり着きました
「やくこさんのサイト」でした

もう雑誌ではなくて、ネットを見ながら試合結果に一喜一憂するようになりました

いろいろな写真もマイピクチャーに保存

この年全仏は、ガウディオがコリアにまさかの逆転勝ち

小柄なコリアの不思議なテニスが優勢だったのですが・・・
信じられない思いで画面を見つめていました

確かこの全仏で、サフィンの「ドロップパンツ事件」とかありましたね

3回戦で対戦したスタラーチェと長いラリーの末、ネットでポイントをとったサフィンはあきれ顔で白いパンツを15cmくらい下げたのでした
ともかくコート中大爆笑

*記憶がちょっと曖昧だったのですが、2回戦のマンティーリャ戦だったそうです

その後、4回戦でナルバンディアンに敗退
その試合の終了後の二人のネット際で、何を話したのか・・・良い感じの写真に魅了されました

ナルのファンになったのはこの年から

実はこの年二人はTMSカナダでダブルスを組んだのです
たった1回だったのですが・・・見たかったな~
全英はフェデラー2連覇
全米もフェデラー初優勝
フェデラーが絶対王者として君臨
強すぎて、もう誰も彼を止められない・・・
2004年ジャパン・オープンはイリ・ノヴァク(CZE)がデント(USA)に勝って優勝
ナルが来日・・・センターコートの高いところから見ただけでした
サフィン、全米では一回戦敗退後、北京で優勝、TMSマドリッドでナルバンディアンとの決勝



これはもう何度もビデオで見ました

この二人、試合後がとても良い感じなんです

そしてTMSパリでもステパネク下して3回目の優勝
TMCヒューストンでは負けはしたものの、フェデラーとのSF、第2セットタイブレは18-20という歴史に残るものでした

結局4位で終了

2005年のサフィン、ホップマンカップで絶不調

どうなることかと思っていましたが、やはり得意な全豪準決勝でフェデラーとのしびれるような死闘

胸がいっぱいで夕食食べれず・・・ダイエットには良かったかな

そして2度目のGS制覇

その後は又パッとせず、全仏でシューズの中敷きが原因(と私は信じているのですが)で、左膝の痛みに悩まされ始めます

全英前のゲーリー・ウェーバー・オープンでは単複ともに、決勝進出
両方ともフェデラーに敗れ準優勝
結局北米シリーズから、膝の痛みに耐えられなくなって、次の年(2006年)の2月まで長いお休みとなりました


ちょっと戻りますが2005年のTMC上海ではサフィンを始めとして、ヒューイット、ロディックが欠場
ナダルもアガシも・・・
ナルとダヴィデンコ、ガウディオとフェデラーが準決勝進出
ここでまたナルとフェデラーの素晴らしい決勝戦を見ることができました

そして2006年の全豪を観に、サフィンを観にメルボルンへ初の海外観戦

結局サフィンもナダルも欠場で見られず、40℃を超える暑さの中、ヒートポリシーもあって、屋内であるロッドレーバーとヴォダフォン・アリーナ(最近ではハイセンス・アリーナ)での観戦だけでしたが大満足

ナルやサントロ、フェレール、リュビチッチ、ヨハンソン、ロブレド、キーファー、フェレーロ・・・
女子ではエナン、ペトロワ、他・・・を観ることができました
長くなってすいません

次回で終わる予定です

2008年12月14日
テニス感染歴④
2002年サフィンは11位でスタート
そして全豪では2度目のGS制覇なるかと思って楽しみに決勝戦を見始めたのを覚えています
準決勝では雨のお陰もあって2セットダウンからの逆転でハースに勝利
決勝は17位のトーマス・ヨハンソンに3-1で完敗
22回目の誕生日だった1/27だったのですが、スピーチがとても人懐っこい笑顔でキュート、ますますサフィンのファンになりました
この時、サフィンがヨハンソンを侮って前日の晩は前祝いのパーティをやったとかやらなかったとか噂がありました
まぁ彼には言われそうなエピソードですが・・・
全仏はコスタがあっさりフェレーロに勝ってGS初優勝
全英はヒューイットがアルゼンチンのナルバンディアンに圧勝
この若者を私は全く知りませんでした
ヒューイットが好きではなかったので、簡単に負けるこの若者のここまで来た力を評価できませんでした
全米はサンプラスがアガシをすべてタイブレで3-1で優勝
最後の勇姿を見せてくれました(この前に引退は否定していたが)
この年のジャパン・オープンには、香港で優勝してきたファン・カルロス・フェレーロの来日で、テニス・ファンはとても盛り上がっていたような気がします
しかしお疲れなのか、予選上がりのマグナス・ノーマンに初戦敗退
この試合ノーマンは両膝に凄いサポーター
痛々しい姿でしたが、場内の「マグナ~ス!」という声援もあって(勇気あるな~と感心)、結局決勝まで行きました
2000年の全仏決勝では、クエルテンを応援していましたが、この時はノーマンに注目
ジャパン・オープン・ドロー
そしてサフィンはTMSパリでタイトル1つ、最終的にはトップ10に戻り3位で終了
デビスカップ決勝でも貢献し、フランスに勝って優勝
2003年のサフィンはまた怪我との戦いとなりました
13大会しか出られず、86位まで落下
右肩、左手首などの故障続き
しかしこのランキング・ダウンが次の2004年の2回目のブレークにつながったと思うと複雑な気持ちですが・・・
TV観戦は、WOWOWで4大大会の全豪(アガシ優勝)、全仏(フェレーロ優勝)、全米(ロディック優勝)、NHKで全英(フェデラー優勝)
サフィンの姿がないことで、自分のテニスへの興味が薄れていってしまったのかと楽しめませんでした
2003年ジャパン・オープン・ドロー
どうしても書きたいことがいっぱいあって2年分づつの記事の更新になってしまっています
私の観戦歴がサフィンとともにあるということで、どうしても外せません
長くなってすいません
(つづく)
そして全豪では2度目のGS制覇なるかと思って楽しみに決勝戦を見始めたのを覚えています
準決勝では雨のお陰もあって2セットダウンからの逆転でハースに勝利
決勝は17位のトーマス・ヨハンソンに3-1で完敗
22回目の誕生日だった1/27だったのですが、スピーチがとても人懐っこい笑顔でキュート、ますますサフィンのファンになりました
この時、サフィンがヨハンソンを侮って前日の晩は前祝いのパーティをやったとかやらなかったとか噂がありました
まぁ彼には言われそうなエピソードですが・・・
全仏はコスタがあっさりフェレーロに勝ってGS初優勝
全英はヒューイットがアルゼンチンのナルバンディアンに圧勝
この若者を私は全く知りませんでした
ヒューイットが好きではなかったので、簡単に負けるこの若者のここまで来た力を評価できませんでした
全米はサンプラスがアガシをすべてタイブレで3-1で優勝
最後の勇姿を見せてくれました(この前に引退は否定していたが)
この年のジャパン・オープンには、香港で優勝してきたファン・カルロス・フェレーロの来日で、テニス・ファンはとても盛り上がっていたような気がします
しかしお疲れなのか、予選上がりのマグナス・ノーマンに初戦敗退
この試合ノーマンは両膝に凄いサポーター
痛々しい姿でしたが、場内の「マグナ~ス!」という声援もあって(勇気あるな~と感心)、結局決勝まで行きました
2000年の全仏決勝では、クエルテンを応援していましたが、この時はノーマンに注目
ジャパン・オープン・ドロー
そしてサフィンはTMSパリでタイトル1つ、最終的にはトップ10に戻り3位で終了
デビスカップ決勝でも貢献し、フランスに勝って優勝
2003年のサフィンはまた怪我との戦いとなりました
13大会しか出られず、86位まで落下
右肩、左手首などの故障続き
しかしこのランキング・ダウンが次の2004年の2回目のブレークにつながったと思うと複雑な気持ちですが・・・
TV観戦は、WOWOWで4大大会の全豪(アガシ優勝)、全仏(フェレーロ優勝)、全米(ロディック優勝)、NHKで全英(フェデラー優勝)
サフィンの姿がないことで、自分のテニスへの興味が薄れていってしまったのかと楽しめませんでした
2003年ジャパン・オープン・ドロー
どうしても書きたいことがいっぱいあって2年分づつの記事の更新になってしまっています
私の観戦歴がサフィンとともにあるということで、どうしても外せません
長くなってすいません
(つづく)
2008年12月10日
『私の10大ニュース』②
『私の10大ニュース』の続き
6.錦織圭 日本人として16年ぶりにツアー初優勝
松岡修造氏以来の日本人では本当に本当に待ち望んでいた男子テニス界のスターが現れました
というよりも、開花したといった方がいいのか
テニス観戦ファンのみならず一般のテニス愛好者にもテニス観戦に目を向けさせることになりました
ただ来年はまだ18歳ですし、今年以上の活躍を期待したいところですが、現実はそんなに甘くないと思います
数年後・・・楽しみにしたいと気長に成長を見守りましょう
ATP公式サイトの「デュースマガジン」にも『Project 45 No Longer A Secret(Under Wraps)』という題で、圭クンが取り上げられています(英語)
7.本当は番外かもしれないけど、サフィン久しぶりに脚光を浴びる
苦手な芝、ウィンブルドンで準決勝進出
苦手だったフェリにもバブリンカにも勝利
2回戦で負けるはずだった(?)ジョコヴィッチに勝利したことが大きかった
やればできるじゃんと思ったけど、フェデラーに対しては頭で負けてた
でもサフィンファンとしては過去の選手じゃないところを見せてくれて感謝したい
ついでにクレムリンカップで決勝進出
本人もファンも確信していたタイトルを手にすることができなかった
実はこれがTMSパリで、初戦敗退からの「引退発言(?)」の引き金になったような気がする
ともかく来年も選手としてツアーに出てくれるみたいなので一安心だけど、やっぱり私自身の複雑な気持ちは否定できない
なんて言っていいかわからないけど・・・
8.ツォンガとジョコヴィッチ
最初と最後はこの二人
全豪で一躍注目を浴びたフランスのツォンガ
2月以降は膝の手術もあってあまりパッとせず、秋になってタイ・オープン、TMSパリで優勝、男子最終戦TMC上海に出場を果たしました
ジョコヴィッチも全豪で初めてのGS優勝
SFではNo.1のフェデラーに勝利、TMSハンブルグではSFでナダルに勝てば2位の座が・・・と思った瞬間
スルッとその手から落ちてしまいました
しかし最終戦TMCで、昨年の全敗という屈辱を跳ね返し決勝戦ではダヴィデンコに見事圧勝
この二人は来年も要注目
9.マレーの躍進
ランキングを昨年の11位から4位まで上昇
たくましい身体と精神力、テニスにはかかせない賢い戦術で全米準優勝、TMSシンシナティ、TMSマドリッドの優勝を含めた5勝は、2年前のひ弱いイメージが払拭されて、No.1を窺うに十分だと感じさせてくれました
特にTMC上海RRでのフェデラー戦でみせた意地と根性
勝たなくてもSF進出は決定でしたが、敢えて全力を出し切って勝利
その後のSFでダヴィデンコに完敗でしたが、来年以降を見据えた精神力は見事というほかありませんでしたね
10.若い力の台頭
トップ10には25歳以上の選手はフェデラー、ダヴィデンコ、ロディック、ブレイクの4人
残りは23歳以下
ナダル、ジョコヴィッチ、マレー、ツォンガ以外にもシモン、デルポトロ
その下にはバブリンカ、ガスケ、チリッチ、グルビス・・・
来年はどんな名前が出てくるのだろう?
ますます戦国時代の様相を深めていくに違いないと確信しました
結局は、「一テニスファンから見た2008年の男子テニス界は
」ということになりました
番外編として私がらみの話など・・・・・またね~

松岡修造氏以来の日本人では本当に本当に待ち望んでいた男子テニス界のスターが現れました
というよりも、開花したといった方がいいのか
テニス観戦ファンのみならず一般のテニス愛好者にもテニス観戦に目を向けさせることになりました
ただ来年はまだ18歳ですし、今年以上の活躍を期待したいところですが、現実はそんなに甘くないと思います
数年後・・・楽しみにしたいと気長に成長を見守りましょう
ATP公式サイトの「デュースマガジン」にも『Project 45 No Longer A Secret(Under Wraps)』という題で、圭クンが取り上げられています(英語)

苦手な芝、ウィンブルドンで準決勝進出
苦手だったフェリにもバブリンカにも勝利
2回戦で負けるはずだった(?)ジョコヴィッチに勝利したことが大きかった
やればできるじゃんと思ったけど、フェデラーに対しては頭で負けてた
でもサフィンファンとしては過去の選手じゃないところを見せてくれて感謝したい
ついでにクレムリンカップで決勝進出
本人もファンも確信していたタイトルを手にすることができなかった
実はこれがTMSパリで、初戦敗退からの「引退発言(?)」の引き金になったような気がする
ともかく来年も選手としてツアーに出てくれるみたいなので一安心だけど、やっぱり私自身の複雑な気持ちは否定できない
なんて言っていいかわからないけど・・・



全豪で一躍注目を浴びたフランスのツォンガ
2月以降は膝の手術もあってあまりパッとせず、秋になってタイ・オープン、TMSパリで優勝、男子最終戦TMC上海に出場を果たしました
ジョコヴィッチも全豪で初めてのGS優勝
SFではNo.1のフェデラーに勝利、TMSハンブルグではSFでナダルに勝てば2位の座が・・・と思った瞬間
スルッとその手から落ちてしまいました
しかし最終戦TMCで、昨年の全敗という屈辱を跳ね返し決勝戦ではダヴィデンコに見事圧勝
この二人は来年も要注目


ランキングを昨年の11位から4位まで上昇
たくましい身体と精神力、テニスにはかかせない賢い戦術で全米準優勝、TMSシンシナティ、TMSマドリッドの優勝を含めた5勝は、2年前のひ弱いイメージが払拭されて、No.1を窺うに十分だと感じさせてくれました
特にTMC上海RRでのフェデラー戦でみせた意地と根性
勝たなくてもSF進出は決定でしたが、敢えて全力を出し切って勝利
その後のSFでダヴィデンコに完敗でしたが、来年以降を見据えた精神力は見事というほかありませんでしたね


トップ10には25歳以上の選手はフェデラー、ダヴィデンコ、ロディック、ブレイクの4人
残りは23歳以下
ナダル、ジョコヴィッチ、マレー、ツォンガ以外にもシモン、デルポトロ
その下にはバブリンカ、ガスケ、チリッチ、グルビス・・・
来年はどんな名前が出てくるのだろう?
ますます戦国時代の様相を深めていくに違いないと確信しました

結局は、「一テニスファンから見た2008年の男子テニス界は


番外編として私がらみの話など・・・・・またね~

2008年12月06日
テニス感染歴③
ちょっと脱線してサフィンのことばかりになってしまいました
2000年のジャパンオープン・ドロー
この年から10月開催に
クエルテン、フィリポウシスが来日
楽しみにしていたのに、残念ながら土曜日までは残っていてはくれませんでした
優勝はシェング・シャルケン(NED)
ニコラス・ラペンティ(ECU)、ヒーシャム・アラジ(MOR)のSF2試合が見られました
負けてしまいましたけど、レフティのアラジのトリッキーなプレーと曲芸のようなラケット・ワークが面白くてとっても楽しかった
ラペンティのエキゾチックな雰囲気もさすが
GSでクルニコワが試合を見に来ていたはずです
この頃のTV放送はWOWOWだけでなく、地上波でも全英がNHK、全豪、全仏がテレビ東京、全米がTBS・・・デビスカップ決勝がTBS深夜、録画でやっていました
(まだGAORAとかJ Sportsとかは見ていません)
そしてシドニー五輪もありました
決勝戦はカフェルニコフがフルセットでハースに勝って金メダル
内山さんの解説も興味深かったし、試合自体もとても素晴らしい試合でした
フェデラーもチョンマゲと白のバンダナでした
始めてフェデラーを認識した大会でした
この頃はテニス放送は必ず録画したりして見ていました
すでにはまっていたのです
2001年ジャパン・オープン・ドロー
この年はSFはヒューイットとブレーク
2ヶ月前、全米での試合中の判定をめぐって「線審の人とブレークが同じ肌の色をしているから、判定をブレークに有利にした」とヒューイットが主張、もめた試合の再戦となりました
全米で優勝したこともあって、人気抜群のヒューイットでしたが、私はブレークに目を奪われましたね
やはり黒人特有の身体の柔らかさと、不安定でありながらも信じられないようなところからのストローク・・・
驚かされました
(迷惑でしょうけど・・・今日はここまで)
2000年のジャパンオープン・ドロー
この年から10月開催に
クエルテン、フィリポウシスが来日
楽しみにしていたのに、残念ながら土曜日までは残っていてはくれませんでした
優勝はシェング・シャルケン(NED)
ニコラス・ラペンティ(ECU)、ヒーシャム・アラジ(MOR)のSF2試合が見られました
負けてしまいましたけど、レフティのアラジのトリッキーなプレーと曲芸のようなラケット・ワークが面白くてとっても楽しかった
ラペンティのエキゾチックな雰囲気もさすが
GSでクルニコワが試合を見に来ていたはずです
この頃のTV放送はWOWOWだけでなく、地上波でも全英がNHK、全豪、全仏がテレビ東京、全米がTBS・・・デビスカップ決勝がTBS深夜、録画でやっていました
(まだGAORAとかJ Sportsとかは見ていません)
そしてシドニー五輪もありました
決勝戦はカフェルニコフがフルセットでハースに勝って金メダル
内山さんの解説も興味深かったし、試合自体もとても素晴らしい試合でした
フェデラーもチョンマゲと白のバンダナでした
始めてフェデラーを認識した大会でした
この頃はテニス放送は必ず録画したりして見ていました
すでにはまっていたのです
2001年ジャパン・オープン・ドロー
この年はSFはヒューイットとブレーク
2ヶ月前、全米での試合中の判定をめぐって「線審の人とブレークが同じ肌の色をしているから、判定をブレークに有利にした」とヒューイットが主張、もめた試合の再戦となりました
全米で優勝したこともあって、人気抜群のヒューイットでしたが、私はブレークに目を奪われましたね
やはり黒人特有の身体の柔らかさと、不安定でありながらも信じられないようなところからのストローク・・・
驚かされました
(迷惑でしょうけど・・・今日はここまで)
2008年12月06日
テニス感染歴②
昨日忘年会の方も沢山いらしたと思います
私もテニス仲間の忘年会でした
イタリアンで楽しくワイワイおしゃべりをしてきました
・・・さて昨日の続きですが
サフィンの選手としてのキャリアを振り返ることになってしまいそうです
縁起でもないので、やめようかな
2000年の4月にバルセロナ(クレー)、マヨルカ(クレー)で連続2、3勝目を上げてから、TMSハンブルグで準優勝、TMSカナダで優勝、インディアナポリスで準優勝、全米、タシュケント、St.ペテルスブルク、TMSパリとこの年7勝もすることができました
当然No.1にもなりました
2000年のSafinの成績
フェデラー、ナダルを見ているとそんなに大変なことのようには思えませんけど、今よりも実力伯仲の時代
マスターズ・カップ(TMC)で優勝したクエルテンが逆転で年末ランキング1位になったのですが、アガシ、サンプラスも元気でしたし、ヒューイット、マグナス・ノーマンもいましたから戦国時代だったかもしれません
TMSについてはWOWOWで決勝の放送がLiveでありました
録画をして見ていたと記憶しています
さてどこでサフィン感染症にかかってしまったかは定かではありません
ただ全米決勝のサンプラス戦では夢中で彼の姿を追っていたのは確か
多分ボロ負けするだろうと思って見ていましたが、だんだん優勝の瞬間が近づくにつれて、胸が締め付けられるようになったのを覚えています
今でもビデオが残っています
もう何度も見ているのですが、とても感動的でした
上昇気流に乗ったスポーツ選手の輝かしい瞬間に立ち会えたのです

彼は「この勝利がその後のテニス選手としてのキャリアを狂わせた」と話していますが、そんなことはなかったと私は思います
もちろん、もっと4大大会に優勝できたかもしれません
No.1にも長くいたかもしれません
彼はまた「あの時のテニスを追い求めて、自分に裏切られ続けた」と話していることもあります
2000年年度末ランキング
そして、2001年前半は、33大会も出場した2000年のつけが回ってきたのか、故障気味になっていきました
背中の故障、左膝・・・
それでも後半、タシュケントとSt.ペテルスブルクで2勝することができました
2001年の成績
その頃はネットなんてできませんでした
情報はもっぱら月一の雑誌のみです
私もテニス仲間の忘年会でした
イタリアンで楽しくワイワイおしゃべりをしてきました
・・・さて昨日の続きですが

サフィンの選手としてのキャリアを振り返ることになってしまいそうです

縁起でもないので、やめようかな

2000年の4月にバルセロナ(クレー)、マヨルカ(クレー)で連続2、3勝目を上げてから、TMSハンブルグで準優勝、TMSカナダで優勝、インディアナポリスで準優勝、全米、タシュケント、St.ペテルスブルク、TMSパリとこの年7勝もすることができました

当然No.1にもなりました
2000年のSafinの成績
フェデラー、ナダルを見ているとそんなに大変なことのようには思えませんけど、今よりも実力伯仲の時代
マスターズ・カップ(TMC)で優勝したクエルテンが逆転で年末ランキング1位になったのですが、アガシ、サンプラスも元気でしたし、ヒューイット、マグナス・ノーマンもいましたから戦国時代だったかもしれません

TMSについてはWOWOWで決勝の放送がLiveでありました
録画をして見ていたと記憶しています
さてどこでサフィン感染症にかかってしまったかは定かではありません

ただ全米決勝のサンプラス戦では夢中で彼の姿を追っていたのは確か
多分ボロ負けするだろうと思って見ていましたが、だんだん優勝の瞬間が近づくにつれて、胸が締め付けられるようになったのを覚えています

今でもビデオが残っています
もう何度も見ているのですが、とても感動的でした
上昇気流に乗ったスポーツ選手の輝かしい瞬間に立ち会えたのです


彼は「この勝利がその後のテニス選手としてのキャリアを狂わせた」と話していますが、そんなことはなかったと私は思います
もちろん、もっと4大大会に優勝できたかもしれません
No.1にも長くいたかもしれません
彼はまた「あの時のテニスを追い求めて、自分に裏切られ続けた」と話していることもあります
2000年年度末ランキング
そして、2001年前半は、33大会も出場した2000年のつけが回ってきたのか、故障気味になっていきました
背中の故障、左膝・・・
それでも後半、タシュケントとSt.ペテルスブルクで2勝することができました
2001年の成績
その頃はネットなんてできませんでした
情報はもっぱら月一の雑誌のみです
2008年12月05日
テニス感染歴①
今日は強風
雨の前なので、風が吹かなくて最高のコンディションかと思っていたんだけど、かなりの南風
夜は忘年会なので、また夕方に出かけます
『テニス観戦歴』ですが『感染歴』でもあるのです
WOWOWに入ったのが、1998年
の中田英寿さんがイタリアのチームに入って、それを見たい(家族が)と、加入
次の1999年4月、偶然友達に誘われて有明まで行きました
始めてのジャパン・オープン観戦
テニスを生で見たのがこれが最初
土曜日の男子SFの日、ニコラス・Kieferはアガシに似ているというので、知ってました
結構ハンサム
ただ感動したのはウェイン・フェレイラという南アの選手
顔はそばかすだらけで、ハンサムとは言えません
でも彼がまさしくエアKのようなジャンピング・フォア・ハンドを打つんです
びっくりしました
それまでスクールで習っていたのはフォアは右向いて打つ
両足をつけて、止まって打つ
信じられないようなボールのスピードとか、ラケットで
を打つ音、走る音、ダイマイナミックなスマッシュなどの動き・・・
もうどれをとっても生の迫力に魅了されました
そして毎年、有明に通うことになったのです
WOWOWではSafinが1997年デビューして、次の年になっていました
1998年4月のデ杯一回戦、対アメリカのクーリエ戦で負けはしたものの、クーリエにフルセットまで戦い、一躍名前が知れ渡ったそうです
そして全仏一回戦でアガシに勝ち、ツアーでもタイトルを獲得
そしてデ杯WGプレーオフで日本へ(大阪)
鈴木選手にストレートで勝っています
2年後くらいだったら、観に行ってたかもしれないと思うと残念です
そして1999年にはWOWOWの解説者と岩佐アナが「ロシアから凄い若者がテニス界に現れた」としきりに言っていたのが耳に残っていました
肩をゆすりながら歩く姿や、大きな声で怒ったり(多分自分に)
やる気があるんだかないんだか、あのラケットを壊してしまうなんてどんな馬鹿チカラなんだか・・・ともかくあまり良い印象ではありませんでした
(続く)

雨の前なので、風が吹かなくて最高のコンディションかと思っていたんだけど、かなりの南風
夜は忘年会なので、また夕方に出かけます
『テニス観戦歴』ですが『感染歴』でもあるのです
WOWOWに入ったのが、1998年


次の1999年4月、偶然友達に誘われて有明まで行きました
始めてのジャパン・オープン観戦
テニスを生で見たのがこれが最初

土曜日の男子SFの日、ニコラス・Kieferはアガシに似ているというので、知ってました
結構ハンサム

ただ感動したのはウェイン・フェレイラという南アの選手

顔はそばかすだらけで、ハンサムとは言えません
でも彼がまさしくエアKのようなジャンピング・フォア・ハンドを打つんです
びっくりしました

それまでスクールで習っていたのはフォアは右向いて打つ
両足をつけて、止まって打つ

信じられないようなボールのスピードとか、ラケットで

もうどれをとっても生の迫力に魅了されました

そして毎年、有明に通うことになったのです

WOWOWではSafinが1997年デビューして、次の年になっていました

1998年4月のデ杯一回戦、対アメリカのクーリエ戦で負けはしたものの、クーリエにフルセットまで戦い、一躍名前が知れ渡ったそうです

そして全仏一回戦でアガシに勝ち、ツアーでもタイトルを獲得

そしてデ杯WGプレーオフで日本へ(大阪)

鈴木選手にストレートで勝っています
2年後くらいだったら、観に行ってたかもしれないと思うと残念です

そして1999年にはWOWOWの解説者と岩佐アナが「ロシアから凄い若者がテニス界に現れた」としきりに言っていたのが耳に残っていました

肩をゆすりながら歩く姿や、大きな声で怒ったり(多分自分に)
やる気があるんだかないんだか、あのラケットを壊してしまうなんてどんな馬鹿チカラなんだか・・・ともかくあまり良い印象ではありませんでした

(続く)