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MOMOより愛をこめて テニスはやるのも楽しいけど、観戦の楽しさも知ってほしい

アメリー

テニスはやるのも楽しいけど、観戦の楽しさも知ってほしい

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テニス感染歴③

ちょっと脱線してサフィンのことばかりになってしまいました

2000年のジャパンオープン・ドロー
この年から10月開催に
クエルテン、フィリポウシスが来日
楽しみにしていたのに、残念ながら土曜日までは残っていてはくれませんでした

優勝はシェング・シャルケン(NED)
ニコラス・ラペンティ(ECU)、ヒーシャム・アラジ(MOR)のSF2試合が見られました
負けてしまいましたけど、レフティのアラジのトリッキーなプレーと曲芸のようなラケット・ワークが面白くてとっても楽しかった
ラペンティのエキゾチックな雰囲気もさすが
GSでクルニコワが試合を見に来ていたはずです

この頃のTV放送はWOWOWだけでなく、地上波でも全英がNHK、全豪、全仏がテレビ東京、全米がTBS・・・デビスカップ決勝がTBS深夜、録画でやっていました
(まだGAORAとかJ Sportsとかは見ていません)

そしてシドニー五輪もありました

決勝戦はカフェルニコフがフルセットでハースに勝って金メダル
内山さんの解説も興味深かったし、試合自体もとても素晴らしい試合でした
フェデラーもチョンマゲと白のバンダナでした
始めてフェデラーを認識した大会でした

この頃はテニス放送は必ず録画したりして見ていました
すでにはまっていたのです

2001年ジャパン・オープン・ドロー

この年はSFはヒューイットとブレーク
2ヶ月前、全米での試合中の判定をめぐって「線審の人とブレークが同じ肌の色をしているから、判定をブレークに有利にした」とヒューイットが主張、もめた試合の再戦となりました

全米で優勝したこともあって、人気抜群のヒューイットでしたが、私はブレークに目を奪われましたね

やはり黒人特有の身体の柔らかさと、不安定でありながらも信じられないようなところからのストローク・・・
驚かされました


(迷惑でしょうけど・・・今日はここまで)


テニス観戦 | 投稿者 アメリー 21:18 | コメント(2) | トラックバック(0)

テニス感染歴②

昨日忘年会の方も沢山いらしたと思います
私もテニス仲間の忘年会でした
イタリアンで楽しくワイワイおしゃべりをしてきました




・・・さて昨日の続きですが冷や汗

サフィンの選手としてのキャリアを振り返ることになってしまいそうです足跡
縁起でもないので、やめようかなビミョー


2000年の4月にバルセロナ(クレー)、マヨルカ(クレー)で連続2、3勝目を上げてから、TMSハンブルグで準優勝、TMSカナダで優勝、インディアナポリスで準優勝、全米、タシュケント、St.ペテルスブルク、TMSパリとこの年7勝もすることができましたえっへん

当然No.1にもなりました

2000年のSafinの成績

フェデラーナダルを見ているとそんなに大変なことのようには思えませんけど、今よりも実力伯仲の時代

マスターズ・カップ(TMC)で優勝したクエルテンが逆転で年末ランキング1位になったのですが、アガシ、サンプラスも元気でしたし、ヒューイット、マグナス・ノーマンもいましたから戦国時代だったかもしれません炎

TMSについてはWOWOWで決勝の放送がLiveでありました
録画をして見ていたと記憶しています

さてどこでサフィン感染症にかかってしまったかは定かではありませんへへへ

ただ全米決勝のサンプラス戦では夢中で彼の姿を追っていたのは確か
多分ボロ負けするだろうと思って見ていましたが、だんだん優勝の瞬間が近づくにつれて、胸が締め付けられるようになったのを覚えています目がハート

今でもビデオが残っています
もう何度も見ているのですが、とても感動的でした
上昇気流に乗ったスポーツ選手の輝かしい瞬間に立ち会えたのですキラキラキラキラ

彼は「この勝利がその後のテニス選手としてのキャリアを狂わせた」と話していますが、そんなことはなかったと私は思います

もちろん、もっと4大大会に優勝できたかもしれません
No.1にも長くいたかもしれません

彼はまた「あの時のテニスを追い求めて、自分に裏切られ続けた」と話していることもあります

2000年年度末ランキング

そして、2001年前半は、33大会も出場した2000年のつけが回ってきたのか、故障気味になっていきました
背中の故障、左膝・・・
それでも後半、タシュケントとSt.ペテルスブルクで2勝することができました

2001年の成績

その頃はネットなんてできませんでした
情報はもっぱら月一の雑誌のみです










テニス観戦 | 投稿者 アメリー 18:17 | コメント(2) | トラックバック(0)