2008年12月19日
テニス感染歴⑥
いよいよ最後です
本当に終わらせられるか・・・
ちょっと戻りますが(やっぱり)
2005年のジャパン・オープン・ドロー
全豪で優勝したサフィンが、ジャパン・オープンのチケット発売の直前に出場を表明
サフィンファンが超盛り上がりました
・・・でも膝の故障は次の年の2月まで続いたので、欠場と聞いてチケットを空しく見つめたのを思い出します
プエルタがトップシードでしたが、この大会中にドーピングの疑いが発表され、元気がない理由がわかりました
元に戻って・・・一挙に飛んで
2006年ジャパン・オープン・ドロー
始めてのフェデラー出場で大変なことになっていましたね
それでも、ヘンマン、デルポトロ、ダンセヴィッチ、ロブレド、ツルスノフそしてマレー兄弟とコーチのギルバートに接近遭遇
この年の10月についにブログを始めました
それからはもっともっと調べながら、書く日々となって、ますますのめり込んでいきました
だってブログとコメントだけでも、話ができるなんて今までなかったから・・・皆様に感謝です
・・・で、サフィンは10月に本当に久しぶりにクレムリンカップの決勝に進出
しかし後輩(そうは見えないが)ダヴィデンコに勝てず準優勝
でもデビス・カップではナルバンディアンに負けはしましたが、ダブルスと最後のシングルスでデビス・カップをロシアにもたらすことになりました
やっぱり最後のサフィンの対戦相手はアカスソでした(本当に可哀そうな人ですね~今年のデ杯決勝でも最後にヴェルダスコに敗退)
次の年2007年もサフィンは調子出ず、ラスベガスの4回戦が最高成績
グミーさんがコーチについてまた心機一転
2007年ジャパン・オープン・ドロー
今まで観たいと思っていたフェリ(ロペス)、ヴェルダスコ、ガスケ、ベルディッチに会えました
TMSマドリッド、TMSパリではナルバンディアンがフェデラー、ナダルを退け連続優勝
またまた「・・・やればできるじゃん」の選手がお好みなんですよね
この年11月TMC上海に2度目の海外観戦
日本から近いということでテニスの仲間3人とともに上海へ
トップ8の選手の試合なので真剣勝負で楽しめました
ナダル、ゴンサレス、ロディック、ジョコヴィッチ、ダヴィデンコをはじめて観れたこと
おまけにフェデラーが負ける瞬間を目の前で見てしまい、結構稀な経験をしたと思っています
2008年ウィンブルドンでサフィン復活の兆し
2回戦でNo.3シードのジョコヴィッチに勝利、あれよあれよという間に準決勝進出
「嫌い」で以前は「もう出ない」とまで言っていた芝で、久し振りのスポットライトを浴びて、やっぱりこれが似合うんだな~と再確認
「もしかしてWB優勝?」・・・自分も舞い上がってしまったのは許してくださいね
そしてウィンブルドン決勝ではテニス史に残る名勝負
ナダルが王者フェデラーに勝った瞬間は観戦歴の中で一番感動した場面でした
サフィンの2000年全米、2005年全豪よりもということは・・・やはり、ブログをやって・・・より深くテニス観戦にのめり込んでいたからなのだと思います
9月には初めて東レPPO観戦
サフィンじゃなくて、妹のディナラ・サフィーナを見て満足
2008年ジャパン・オープン・ドロー
とうとう日本のテニスに輝ける星が誕生しました
新しい“お気に入り”さんにも出会うことができました
(来年からはシモーネ・ボレリも追っかけていきたいです)
そしてまたサフィン・・・10月のクレムリンカップ決勝戦でまたもや同胞、おまけに一度も負けたことがない、ダブルスも組んでいたクニツィンに敗退
これが尾を引き、TMSパリでは大荒れで「引退」(?)に近い言葉も・・・
もう来年1/27で29歳
「サフィンが楽しくなければやめても良いよ
でも、まだ居場所はここしかないよ」
いつからかLスコアだけでなく、Lストリーミングも見られるようになり、ほとんどの大会がWOWOW、GAORA以外でも観ることができるようになりました
これが10年以上にわたる今までの私のテニス観戦歴です
自分自身のために記録しておきたいと考えて書きました
これからもまだしばらくはブログとともにテニス観戦、楽しんで行きたいと思っています
この観戦とブログが「自分のテニスも向上したい」という原動力になっていることも事実です
お付き合い下さってありがとうございました
本当に終わらせられるか・・・
ちょっと戻りますが(やっぱり)
2005年のジャパン・オープン・ドロー
全豪で優勝したサフィンが、ジャパン・オープンのチケット発売の直前に出場を表明
サフィンファンが超盛り上がりました
・・・でも膝の故障は次の年の2月まで続いたので、欠場と聞いてチケットを空しく見つめたのを思い出します
プエルタがトップシードでしたが、この大会中にドーピングの疑いが発表され、元気がない理由がわかりました
元に戻って・・・一挙に飛んで
2006年ジャパン・オープン・ドロー
始めてのフェデラー出場で大変なことになっていましたね
それでも、ヘンマン、デルポトロ、ダンセヴィッチ、ロブレド、ツルスノフそしてマレー兄弟とコーチのギルバートに接近遭遇
この年の10月についにブログを始めました
それからはもっともっと調べながら、書く日々となって、ますますのめり込んでいきました
だってブログとコメントだけでも、話ができるなんて今までなかったから・・・皆様に感謝です
・・・で、サフィンは10月に本当に久しぶりにクレムリンカップの決勝に進出
しかし後輩(そうは見えないが)ダヴィデンコに勝てず準優勝
でもデビス・カップではナルバンディアンに負けはしましたが、ダブルスと最後のシングルスでデビス・カップをロシアにもたらすことになりました
やっぱり最後のサフィンの対戦相手はアカスソでした(本当に可哀そうな人ですね~今年のデ杯決勝でも最後にヴェルダスコに敗退)
次の年2007年もサフィンは調子出ず、ラスベガスの4回戦が最高成績
グミーさんがコーチについてまた心機一転
2007年ジャパン・オープン・ドロー
今まで観たいと思っていたフェリ(ロペス)、ヴェルダスコ、ガスケ、ベルディッチに会えました
TMSマドリッド、TMSパリではナルバンディアンがフェデラー、ナダルを退け連続優勝
またまた「・・・やればできるじゃん」の選手がお好みなんですよね
この年11月TMC上海に2度目の海外観戦
日本から近いということでテニスの仲間3人とともに上海へ
トップ8の選手の試合なので真剣勝負で楽しめました
ナダル、ゴンサレス、ロディック、ジョコヴィッチ、ダヴィデンコをはじめて観れたこと
おまけにフェデラーが負ける瞬間を目の前で見てしまい、結構稀な経験をしたと思っています
2008年ウィンブルドンでサフィン復活の兆し
2回戦でNo.3シードのジョコヴィッチに勝利、あれよあれよという間に準決勝進出
「嫌い」で以前は「もう出ない」とまで言っていた芝で、久し振りのスポットライトを浴びて、やっぱりこれが似合うんだな~と再確認
「もしかしてWB優勝?」・・・自分も舞い上がってしまったのは許してくださいね
そしてウィンブルドン決勝ではテニス史に残る名勝負
ナダルが王者フェデラーに勝った瞬間は観戦歴の中で一番感動した場面でした
サフィンの2000年全米、2005年全豪よりもということは・・・やはり、ブログをやって・・・より深くテニス観戦にのめり込んでいたからなのだと思います
9月には初めて東レPPO観戦
サフィンじゃなくて、妹のディナラ・サフィーナを見て満足
2008年ジャパン・オープン・ドロー
とうとう日本のテニスに輝ける星が誕生しました
新しい“お気に入り”さんにも出会うことができました
(来年からはシモーネ・ボレリも追っかけていきたいです)
そしてまたサフィン・・・10月のクレムリンカップ決勝戦でまたもや同胞、おまけに一度も負けたことがない、ダブルスも組んでいたクニツィンに敗退
これが尾を引き、TMSパリでは大荒れで「引退」(?)に近い言葉も・・・
もう来年1/27で29歳
「サフィンが楽しくなければやめても良いよ
でも、まだ居場所はここしかないよ」
いつからかLスコアだけでなく、Lストリーミングも見られるようになり、ほとんどの大会がWOWOW、GAORA以外でも観ることができるようになりました
これが10年以上にわたる今までの私のテニス観戦歴です
自分自身のために記録しておきたいと考えて書きました
これからもまだしばらくはブログとともにテニス観戦、楽しんで行きたいと思っています
この観戦とブログが「自分のテニスも向上したい」という原動力になっていることも事実です
お付き合い下さってありがとうございました
2008年12月19日
ジャパン・オープン
私が心配してもどうしようもないことですが、来季のジャパン・オープンのスポンサーからAIGが降りました
Tennis365のニュースでも取り上げられていますし、すでに皆さんご存知でしょう
私は今朝、新聞で読みました
想定内のことだったけど、こんなに不況の嵐がド~ンとやってくるなんて・・・
新しいスポンサーが決まってくれれば良いけど・・・開催そのものが危うくなってしまいます
さて来年はどうなっちゃうのか
フェデラーも一早くスケジュールに入れてくれたのに
ジョコヴィッチが開催権を買ってセルビアに遷した、オランダの大会みたいに、日本開催でなくなったらどうしよう
ソニーもトヨタも今まで協賛だった読売新聞もとてもそこまでできるとも思えません
Tennis365のニュースでも取り上げられていますし、すでに皆さんご存知でしょう
私は今朝、新聞で読みました
想定内のことだったけど、こんなに不況の嵐がド~ンとやってくるなんて・・・
新しいスポンサーが決まってくれれば良いけど・・・開催そのものが危うくなってしまいます
さて来年はどうなっちゃうのか
フェデラーも一早くスケジュールに入れてくれたのに
ジョコヴィッチが開催権を買ってセルビアに遷した、オランダの大会みたいに、日本開催でなくなったらどうしよう
ソニーもトヨタも今まで協賛だった読売新聞もとてもそこまでできるとも思えません